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※ページ構成の改良、まだ考え中です。より見やすい形を作っていこうと考えています。


一大学人が思うこと

  大学にはさまざまな顔があります。教育者の顔、研究者の顔、社会に貢献しようとする顔。卒業生を通して見せる顔、在学生を通して見せる顔。社会の方々、企業活動をされている方々、高校生、学校の先生方、皆様がそれぞれの視点で大学を見ておられます。そんな大学に、いつの間にか30年近く、教員として身をおいてきました。学生、大学院生、研究員の時期まで含めると、大学に40年以上いたことになります。その間、がむしゃらに勉強したり、研究したり、教育に苦しんだり、時に遊んだり、いろいろな心の変遷を経てきました。社会と大学の関係も変化してきています。日々学び続ける身ではありますが、さまざまな側面から、考えること、思いつくことをここで書いてみたいと思います。
 読者の皆様からご意見を伺えればいいのですが、この場は一方的な形で申し訳ありません。どこか、何かの場で、ご意見を伺えれば、有難いと考えております。今のところ、次のように区分けしています。

A.教育のこと(大学教育、学生諸君へ、高校生の皆さんへ、子供を持つ親御様へ・・・)
B.研究のこと(私と研究室の研究、光合成、植物科学、研究というもの・・・)
C.大学人から見た社会のこと(できるだけ一般的なこと)(今の社会、生きるということ・・・)
D.その他のことなんでも(A~Cに入らないこと、趣味・楽しみ・等・・・)
 
いつまで続くかわかりませんが、挑戦してみることにしたいと思います。実は、5年前くらいに、ホームページで書かせていただきました。そのうち、書ききれなくなり、止めてしまいました。新たに立ち上げてみたいと思います。
現在の項目は、  A-5~1、 B-1、 C-1(防衛庁設置法改正について) D-2~1 の順に並んでいます。 


A-5
 新課程の生物学について一言。新課程の教科書では、遺伝子とその発現など、内容は深くなったのですが、単元ごとのつながりが悪くなったのではないかと懸念しています。その「つながり」という視点で、書いた文章を下に残しておきます。
 新課程の教育体制になって最初の学年が大学の1年生となっています。旧課程の生物学では、高校でメンデル遺伝を学び、遺伝子の概念を習得してからDNAと遺伝子発現を学んでいました。そのため、たとえばエンドウマメの鞘の形が膨れているかくびれているかなど、「遺伝する」内容としての「形質」とその「表現形」を十分理解してから、「遺伝子発現」を学んだわけです。新課程での高校生物は、セントラルドグマとして理解した「遺伝子発現」が、どのように生命現象と結びついているのか、その説明はほとんどなく、異常としての「突然変異」と手段としての「バイオテクノロジー」に展開してしまいます。そして、「発生、動植物の生理」へと単元が進みます。「遺伝子、DNA」に収められている情報が、生きている生物に「表現形」として伝わること、すなわち、DNAに収められている遺伝情報が発現してタンパク質が作られ、それが働くことによって生物個体で表現されること、このことを今の高校生はしっかり理解してほしいと思います。「発生」などの生理現象と「遺伝子」との間をつなぎぐ「遺伝子の概念」は中学校で終わらせてきていますので、中学での勉強を忘れた生徒には、まったくつながりのない形で知識だけ詰め込むという状況ではないかと思います。高校の先生方の教育手腕が発揮されるところかもしれません。

 生物学と物理学のつながりとして、大学で光合成の話をする時に見えてきます。光合成ではまず、光の性質、波と粒子の話をします。1900年前後の物理学の大きな発展がこの波と粒子、それが光量子ですが、一見相反することがつながり、量子の世界が見えてきたわけです。そして、この光の話をすると、多くの学生は、「光合成」という「生物学」の世界が実は「物理学」とつながっていることを理解してくれます。
 生命科学は、もともと生物学が化学とつながって成立してきました。タンパク質やDNAの世界が明らかになり、DNAが遺伝情報とわかると、生物の生命現象が遺伝子の情報をもとにして作られたタンパク質がはたらいて表面に表われるものであることが明らかとなりました。DNAの塩基配列をすべて知ろうとして、「ゲノム」の世界も誕生しました。「ゲノム」はgenome、すなわち遺伝子geneと 全体を表す-omeからなる造語、オミックスOmicsの世界が広がってきています。Transcriptome、proteome、metabolomeという言葉で表される転写産物、タンパク質、代謝産物の網羅的解析です。
 これまで、一つ一つの課題を、いろいろ工夫しながら解き明かしてきた生命科学の知識が、オミックスにより、答えの可能性を予想できるようになってきたわけです。次に手段は、予想される遺伝子を壊すなり、他の生物に挿入するなりという遺伝子組み換え技術により、「証明」するのが、最新の研究手法といってもいいのかもしれません。
 もちろん、すべての生命活動やそこに見られる現象が、簡単に解き明かされるわけではありませんが。

 今、生命科学は、「情報科学」と密接につながり、「統計学」も重要な手段になってきています。さまざまな学問が、さまざまな研究領域とつながり、人類の知識体系が深められているといっていいのかもしれません。
(20115.8.1)

追記: 今、研究倫理が重視されています。さて、メンデルの法則を導き出した実験結果は? データがきれい過ぎるのかもしれません。ニュートンの結果も。「正しい」と思ってみると、「変なデータ」は消してしまう、これは、「改ざん」の問題になります。社会の方々の「常識」がどの範囲までが認められることなのか、考えさせられるところです。




A-4   ー講義科目と学生の捉え方、新課程の生物学、そして、科学と技術開発ー

 新年度に入り、一息つく間もなく4月が終わってしまいました。今年のゴールデンウィークは、たまった仕事を片付け、追いつくための時間となりました。前期のはじめは特に講義が多くててんてこ舞い。1年生の生物学、2年生の植物生理学、3年生の放射線生物影響論、さらに薬学部の地球環境概論と、ほぼ毎日講義の続く時期があります。研究室のゼミもあり、学生部長と放射線取扱主任者の役職も仰せつかっていますので、”充実”した毎日です。科目によっては、他の先生と分担していますので、前期すべてというわけでないのが救いです。学部では学生からの「授業アンケート」を年2回実施していますが、その中に「講義が2人、3人で行われるとわかりづらいので、ひとつの科目は1人が担当するようにしてほしい」という意見があります。この意味がなかなかわかりませんでした。最近、特に1,2年の学生は「科目ごとの成績」より「講義する先生ごとの評価』を意識しているのかもしれないということを感じて、上の意見の意味がわかったような気がしています。大学院での講義は、複数の講義担当者でひとつの科目を持つことが多くの大学院で行われていますので、なかなか理解できないでいました。「よい成績をとろう」「よい評価をもらおう」という気持ちや意欲は大切ですが、力が身につくことが大切です。学年が上がるにつれて、こうしたことへの対応能力が増していくのだろうと思います。これも「学生の心の成長」と思ってています。

 このような時間に追われた状況ですが、可能な限り研究をしようと、もがいています。大学院の学生の頃から微細藻類に関わる研究を続けています。小生の場合、大学の講義で光合成に興味を持ち、その基礎研究に入りました。二酸化炭素の固定研究から、光合成で作られ蓄積される有機物の解析まで、シアノバクテリアや微細藻類を用いて進めています。これらの生物は光合成を行う能力を柱にして、多様な光合成生物へと進化してきました。植物の葉緑体がシアノバクテリアに由来することをご存知の方は多いと思います。”細胞内共生”と言っていますが、葉緑体が成立後、すなわち真核光合成生物が成立した後、紅藻、緑藻そして陸上植物へと進化してきました。その一方、単細胞性の紅藻や緑藻が二次の細胞内共生したことによって、新たな光合成生物が誕生し、中には多細胞化したものも生じました。褐藻のコンブやワカメはその仲間です。講義の中で、「マラリア原虫は病原菌だが、光合成の遺伝子が残っている」と講義の中で言うと、興味深く感じる学生は多いようです。光合成生物も、人間の体内に入って餌が容易に入手できると、そして、光がないと、寄生の生き方に変わっていくのだと思われます。
 今年の1年生は高校までに新課程の教育を受けてきた学生です。高校の「生物」の教科書を見ていて、気がついたことですが、高校での生物学では「系統学」を教えることを強めて、「分類学」を教えなくなったように思います。この違い、おわかりでしょうか。「分類する」主語は人です。「系統を持つ」主語は対象となる生物自身です。人が生物を理解するために区分けする(分類する)のではなく、生物が遺伝子の変化によって進化してきた、そのつながり(系統)を理解させる教育になったということです。一見すれば、きわめてすばらしい「自然の理解」の目標です。さて、当の高校生は多様な生物をどこまで理解できたのでしょうか? 生物の理解に役立っていればいいのですが。
 系統、すなわち遺伝子を中心とした「分子系統」では、「生物は大きく3つに分かれ、そのうちの二つが細菌、すなわち原核生物であり、残りひとつが真核生物である」ということが重要です。このmessageを読んでおられる方々には、この知識と、「生物は大まかに、動物、植物、菌類、原生生物、そして細菌の5つに分けてみてみよう」と言うのと、どちらが具体的なイメージがわかるでしょうか。極端に言ってしまうと、「わかりやすさ」よりも「真実」に重点を置くことになったと理解しています。どうやら、大学教育も「新課程」に合わせて、講義の中身を変えていく必要がありそうです。大学で学んでほしいことと高校までに学んでほしいこと、それこそ私たちの意識改革も含まれそうです。

 ゴールデンウィークに、ようやくこのサイトを更新しました。ところが、もう少し修正したくなり、その翌日、修正し始めたら、上の教育論になってしまいました。前日に書いた研究のことも、少しだけ修正をして、下に残して置きます。

 上のような状況で、なかなか十分な研究の時間が取れませんが、前職のカルチャーコレクション(種の保存業務)に従事していた時以来、技術開発研究の方々にお手伝いをしてきました。ここ何年かの間に、自然エネルギー利用のためのバイオマス資源として微細藻類(ここからはシアノバクテリアも含めてこの表現にします)に注目が集まり、微細藻類を用いた研究が多くなっています。こうした中で、私自身、多くの方々の視点と異なる立場から、微細藻類利用の技術開発に着手しております。まず、日本で確立させ、それを世界に広げて生きたいという気持ちから、論文発表は遅れていますが、国内の学会で少しずつ公表し始めています。何とか1日でも早く、完成に近づきたいと努力しているところです。
 そんな中で、大学における「研究」と「技術開発」の違いを、「学生が学ぶ」という視点からどのように考えたらいいか、意識するようになっています。私が学生の頃は、自然の現象やその仕組みが不思議で、そこに興味をそそられました。今、学生の多くは、自然のしくみより、その利用に関心が高いように感じます。マスコミの報道も同じです。社会の皆様が「科学」の利用に大きな期待をしていて、若者はその影響を受けすぎているのではないかと心配しています。思考能力の研鑽は「科学すること」にあると思います。答えのわからない課題を一つずつ紐解いていく、その経験から、社会における様々な課題も解決していってほしいと思っています。
 一方、「技術開発」は、既存の研究成果をもとにして、社会に役立つ手法を作ることかと思います。「科学する心」の上で、その成果をつなげていくことです。「科学」も「技術開発」も、ともに既知の手法を駆使して問題を解決させていくところは同じですが、目の向ける方向が逆であり、人類への貢献のしかたも「知識」と「道具」の違いといえるのではないでしょうか。学生には、基本的には「科学の心」を養ってもらいたいと思っています。その上で、「技術開発』に貢献できればと期待しています。
 今、1日でも早く、微細藻類をバイオマス資源として利用できるように、その実現をめざして進めているところです。

 緑の美しい季節に、その「緑」で社会をより豊かにするという夢を描いています。微細藻類生産が新しい社会システムに組み込まれる日を夢見ながら。
                                          (2015.5.4 & 5)




A-3
 
 講義を聞いてメモを取る。この”当たり前”のことも、講義の中での説明に入れるようになりました。大学に入ったら「自分で工夫しなさい」と言うのが当たり前だった時代から、その"当たり前"も教えなければならない時代になったように思います。豊かさの成熟期に育った親のもとで、自らも物質的に豊かな社会の中で育った学生には、メモを取って頭に焼き付けることは、"当たり前”でなくなった”というべきなのかもしれません。今は、生きる術を捜し求める時代ではないというのが本当なのかもしれません。その分、素直で心の優しい若者が多くなっていると思います。生命科学部にはいい学生がいっぱいいます。しかし、自らの弱点を自覚し、自らに厳しさを課すのは、いつの時代もたいへん難しいことだと思います。
 「生物多様性」の講義をしていると、自然の中の生物は食を得ることや、被食から逃れることに必死であることがわかります。その上で、子孫を残す。これが生物生存の原理です。その目で見ると、日本の社会は安全で、豊かです。この平和な社会の中で、日本人が如何にして生物としての力を失わないようにできるか。日本の人口減少傾向はそこから考える必要があるのかもしれません。
 若者一人一人が、平和な日本、そして一方、厳しさを多分に含む世界の中で生きていけるように、若いうちに学ぶことが大切だと思います。本来なら、大学に入る前、高校までに学んでほしいところです。しかし、学歴を気にする社会では、大学に入るまではそのゆとりがないのかもしれません。大学に入ってからでも、「生命科学」という世界、生物の生きる仕組みを深く学んで、自ら人間として生きる力を身につけていってもらいたいと願っています。
                                (2013.5.9;2013.7.20修正、掲載 )




A-2
 講義をいかに行うか。昨年からA6の紙を学生に配布するようになりました。リスポンス・ペーパー(Response paper)とでも言えばいいでしょうか。出席を確認するため、日付、学籍番号、氏名を上に書いてもらいます。その下に、だいたい1~5まで番号をつけてもらいます。講義が進むにつれて、時々、学生に書いてもらいます。たとえば、英単語。「培養」と言う言葉を使ったら、その英語は?と言うわけです。あるいは、想像して書いてもらうこともあります。オーストラリアの有袋類の生態系とアメリカやユーラシア大陸の哺乳類の生態系とを比較した時、コアラやカンガルーはどんな動物とその生態的地位が似ているのかという質問に想像して書いてもらうのがその例です。アンケートの場合もあります。講義の最後、5番目に、その講義で学んだことを何でも書いてもらうのです。この方法、学生にとっては、講義の速度でリズムが変わること、ポイントを見直す機会が与えられること、質問も書けることなど、一方的な眠い話から、学生が積極的に聴く態度へと変えることができそうです。質問に対しては、次の時間に「こんな質問がありましたが、・・・」として、講義のはじめに説明を加えます。大した技術ではありませんが、効果は大きいようです。
 講義の終わりだけでなく、講義の途中で、時々書いてもらうこと。これが重要なようです。
(なお、培養はculture、また、コアラはナマケモノと、カンガルーは馬に対応するそうです。)  (2013.5.9)



A-1
 講義の中で、学生に向かって「親と闘っていますか」という問いかけをしたことがあります。私自身、少し忘れかけていたのですが、久しぶりに会った学生から、その時強い印象を受けたと言われたことがあります。そんな叱られそうなことは、公然と言うのははばかられるように感じます。しかし、何か問題を抱えた学生の親御様に会うと、皆様立派な方々ばかり。立派過ぎて、子どもである学生が飲み込まれてしまっていると感じることがあります。親は子を守ろうとします。盲目的な過保護に対し、子どもの「反抗期」は大切なのだと思います。何も喧嘩する必要はありませんが、心の中で「親と闘う」。この心構えが学生皆を大きくするように思っています。(2012.8.31;2013.5.9字句修正)

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B-1
8月後半から雨の多い年となっています。エルニーニョ現象や海水温の上昇、黒潮の蛇行など、地球環境が変動し、大型台風の襲来や竜巻、集中豪雨など被害が多発しています。「地球環境の変動」の中に、どの程度人為的な要因が含まれているのかは小生にはわかりませんが、いまだにコントロールできない大気中の二酸化炭素濃度は、何とかその上昇を食い止めたいものです。
 そのための「技術開発」、これは「理学部」で学び育ってきた小生には、見る方向性が異なります。「事象、現象」を見出し、その仕組み(メカニズム)を考えて、その中に潜んでいる真実(自然の摂理)を見出すこと、これが小生にとっての「研究」です。学生にそれを指導するのは、この研究経験によって探求対象に気づき、その根源となっている真実を見出す方法や考え方を学ぶこと、それが社会を見、自ら生き抜いていく力をつけることにつながっていると思っています。一方、その摂理をもとにして、人あるいは社会にとって有意義なものや仕組みを作り出すのが「技術開発」かなと思います。ゴールが異なり、重要とする点も異なります。具体性の点でも違いがあります。大学の学部も、両者の強弱があると高校生は理解してくれるといいなと思います。
 多くの学生は、社会の問題点を、自らあるいは他者から学び、純粋な心で課題を解決しようと考えます。「自然」の理解がまだまだ不十分だった小生の子どもの頃と違い、わからないなりに少し知識が深まってきたのが、今の「自然」に対する理解と思います。そのため、今、若者は素朴な「夢」、自然の摂理を解く夢を描きにくくなっているのかなと感じます。物に溢れた豊かな生活ということ、マスコミなどからの情報過多もその背景になっています。自然の摂理というおぼろげなことより、「ある病気を治す」とか「エネルギー問題を解決する」という具体的な課題ーー自ら見つけた課題と言うより、社会で期待して発信される課題ーーの解決に「夢」を見出します。
 小生は、大学時代の若い時には、できるだけ素朴な「夢」も見てほしいと思っています。「素朴な夢を持て」と言っても、無理かもしれません。「夢」の代わりに、「50年後の社会」、その半分として「25年後の社会」に「あなたはどんな生活をしているかな」、「社会はどうなっているのかな」と学生に問うことにしています。学生からその答えをあまり多くはもらえませんが、小生の答えは、たとえば、平和が守られているだろうかとか、ロボットにいろいろ働いてもらう社会かなと思っています。ロボットは間違いなく、私たちの生活をサポートしてくれる重要な存在になると思います。ただ、ロボットが自分と同じロボットを作り始めたら、人の社会がロボットにのっとられてしまう危険性もあると思います。生態学を学んでいくと、同じ生態系の中に同じ生態的地位の動物が存在し続けられないと言う事実があります。人とロボットとが同じ利害を受ける状況になったら危険ということを、私たちは認識しておくことが大切だと思います。(余談ですが、アフリカにライオン、アジアにトラ、北米にピューマ、南米にジャガーというのは、ご存知だろうと思います。それぞれの地域で、ピラミッドの頂点はひとつのようです。小生はまた、「多様性生物学」の講義の中で、南北アメリカ大陸が陸続きになった時、北米がわの動物が南に移動し、南米で「○○ドン」などの絶滅動物の化石が多く見つかっていることを紹介しています。生物を広く理解して、人類の生存を維持することが私たちが「学ぶ」価値かもしれません。)
 ロボットを活用して、豊かさ、便利さ、そして平和。その良さを世界に広げることは重要なことと思います。しかし、この同じ時に、中東地域の人々が苦しんでいます。そして、その難民がヨーロッパに押し寄せています。今回の多数の難民がインターネットでの情報だとすると、さらに多くの難民が移動するかもしれません。世界が大きく動いています。歯止めの見えにくい時代を迎えている時こそ、平和で安全な社会を目指して、その判断に必要な広い知識を身につけ活用する力を若い皆さんがしっかりと身につけていただきたいと願っています。そういう小生自身も学び続けています。
                                (2015.9.8;9.9改定、11.3本欄掲載)


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C-2  -今、エネルギー革命を! それによって新しい社会構造を作りましょうー  

前回、経済のことについて、「新しいタイプの資本主義」に変えていくことがいま求められていると、私なりの意見を申し上げさせていただきました。

 これまでの日本の経済活動の基本システムは、①原料の輸入、②信頼度の高い製品の製造、③その製品の輸出であり、このプロセスで生じた輸出と輸入の金額の差が我が国の収入でした。この利益は、日本の企業の収益となり、国民生活の向上を支えてきました。しかし、今では「発展途上国」とされてきた諸国の技術水準が高まり、上の①~③のプロセスが可能となっています。それどころか、労働賃金は当然日本より安く、かつての「発展途上国」から輸出される製品の価格は低く抑えられています。日本の企業がこうした国々に生産拠点を移してきたのはそのためだったはずです。ところが、技術の向上により、日本の企業から離れて単独で生産し輸出するとなれば、日本の競争相手になっていくのは明らかです。この事態に対して、せめて「円安にして価格差を減らしましょう」というのが、今の政府の方針だと小生は理解しています。また、新たな技術を作り出そう」ということで、「イノベーション」という語がよく使われています。調べなおしてみると、技術面に限らず「革新、刷新」まで指すようです。根本的に考え方を改める時期に来ているのかもしれません。

 では、何をしたらいいのか。小生の拙い考えですが、上の①~③の過程を見直してみると、これまでの「原料」は化石資源であり、この活動を支えるエネルギーは化石燃料でした。すなわち、我が国の基本構造が化石資源に頼っていて、ほとんどすべての国の産業社会がその域にとどまっているということを、しっかりと見つめ直すことが大切だと思います。エネルギーの面で、化石燃料に代わるものとして考えられてきたのが原子力ですが、その危険性のため、利用に関する議論が分かれるところとなっています。

 日本人の生活は、エネルギー計算すると、食の30倍程度に拡大しています。すなわち、食のおおもとを農業と考えるならば、農業を支えるエネルギーが太陽光であり、肥料が工業製品とすると、今の食料は、太陽光に加えて化石燃料を投入して作っていることになります。要約すると、太陽光で日本人の生活を支えられるのは、大まかには3%程度(30分の1程度)ということになります。ビジネスの視点では、採算が取れることが重要ですが、小生のような大局的な視点で見てしまう者にとっては、太陽光で生活のエネルギーを支えられるのは、きわめてわずかな割合と考えてしまうのですが、・・。また、何千万年もかけて太陽エネルギーを蓄積してきた結果である化石燃料を100年程度で消費しようとしているのですから、私たちの生活水準がいかに大きいか考え直す必要もあると思います。。

 となると、上のイノベーションは、どこに視点を置くべきなのでしょうか。身の回りにあるエネルギーをいかに利用可能なものにすることではないかと考えています。地熱、風力、水力、波力、潮力、そして、気温も含めた温度差発電など、小さなスケールのエネルギーを集中させることが今求められているのではないかと考えています。原子力という巨大なエネルギータンクが危険であるなら、分散化されているエネルギーを効率的に集約させ、利用可能なものとする、こんな技術ができること、これこそ、目指すイノベーションではないかと考えているのですが、・・・。幸い日本のエネルギー資源は、賦存量が世界第6位と聞いていますので、可能性を探っていきたいと思っています。

 さて、話を教育に向けさせていただこうと思います。最近、少し気になりだしたことなのですが、若者があまり思考しなくなった、特に、「なぜだろう」とか「既知のことと何か違うような気がする」というような内容で、物事を考える学生が減ってしまったような気がしているのですが、そう感じているのは小生だけでしょうか。読者の皆様の中で、大学学部教育、あるいは高校教育をされておられる方々がどのように感じておられるかと気になりだしているところです。ちょうどゆとり教育から脱ゆとり教育に変化し、スマホが手元にある若者にとって、「考えるより知る」ことの生活が主流になっているような気がし始めています。

 上に述べたような議論、イノベーションには、「知ってから考えろ」といいたいのですが、「知った後考えるだけの時間がない」教育システムになっていないか、心配をし始めています。


                                              (2016.6.26 都筑)

C-1  -平和な社会を守るため、日本と世界の歴史を参考にー  

防衛庁設置法改正案が2015年6月に成立しました。報道などであまり多くは取り上げられていないように思います。この法改正の本質がどこにあるのか、小生、専門ではありませんが、その危険性を感じるところですので、少しだけ述べさせていただきたいと思います。

 「防衛庁設置法改正」を理解する上で重要なことは、「制服組」と「背広組」という表現であらわされるように、自衛隊組織の中の二つの立場を知っておくことと思います。自衛隊で救助活動など行っている方々は制服組の組織であり、その背後で動いておられる背広組と呼ばれる文官の方々とに分けられるということです。
 これまでは、防衛大臣そして首相の政治的な決定に関しては、背広組が上位にいて、防衛大臣は制服組の意見に縛られる必要はありませんでした。
 今回の改正は、政策決定の場で制服組と背広組が対等になりました。一見、民主主義で当たり前のように思われますので、あまり問題視されず、法案はそのまま賛成され成立したと思います。
 ただ、そこに問題点が隠されていることを考えていただきたいと思います。自衛隊の生え抜きの方々、すなわち制服組の皆様は災害が起これば、わが身の危険を冒してまでも被災された方々を救いに行って下さり、頭の下がる思いです。そして、さまざまな形で国と国民の安全を守ってきてくださっています。しかし、そのために必要な道具を装備し、防衛のためには武器も装備しています。武器を持ち、その力を行使できるとなれば、国民に対してもその力を表すことが可能です。これまでの規則では、その力の発揮はすべて、背広組の判断のもとで行われてきたわけです。今回の改正で、その力を持った方々が、その力の発揮の事柄に関して、自ら意見を述べる、すなわち政治的な関与ができるようになったということであると、小生は理解しています。
 制服組が政治的判断を防衛大臣に上申することができるようになった。すなわち、防衛大臣ひいては首相にまで、その力を示す行動が法的に許されるようになったわけです。

 人間社会は、どんなにいい方々がそろっていても、その集団の中に問題となる行動を起こす人もいないわけではありません。自衛隊もその人間社会ですし、武器を含め、実際の行動を行える方々の集団です。めったに暴走することはありませんが、「めったに」ということは、ゼロではなく、1回でも起これば、戦争へつながる可能性の高いものと理解すべきことではないかと思います。また、人はそれぞれの立場で、良かれと思うことが異なるケースは日常茶飯事です。立場が変われば主張が変わります。
 この点に関しては、日本の明治から昭和にかけての動きを、国民は知っておく必要があると思います。
若き青年将校たちが起こした5.15事件(1932年)や2.26事件(1936年)は、犬養首相が暗殺され、社会が混乱していきました。血気盛んな青年将校たちが、武器を用いて、政治的に行動してしまったわけです。彼らは真剣でした。政治的に関わる思想は熱気を持ち、自らを正当化していきました。

 さらに大きな問題と考えるべきことがあります。それは、明治時代、第2次山縣有朋内閣で成立した軍部大臣現役武官制(1900年)ではないでしょうか。政府の陸軍大臣と海軍大臣は、現役武官、今でいう制服組から選ばれなければならないというものでした。「現役でなければ軍の動向をつかめない」という“もっともな”理由だったと思います。しかし、この当たり前のように言われて成立した制度は軍隊の独立性を強めることにつながっていきます。「陸軍や海軍の意に沿わない人が首相になろうとしたら、軍側は大臣を出さず、それにより政府が成立しないわけです。この「軍部大臣現役武官制」はいったんは消滅しましたが、1936年に復活し、その4年後に日本は第二次世界大戦の戦争に突入していったという経緯を、国民、少なくとも選挙権を持つ人々は皆が知っておくべきことではないでしょうか。

 今年成立した防衛庁設置法改正を見直すと、これまでは防衛政策を進める上では「文官」すなわち背広組が優位に立っていたのに対し、改正によって背広組と制服組が対等になったというものです。
 小生の理解では、この改正により、制服組(=武官)の政治への参画が一歩進んだのです。これまで、制服組の方々は、政治的に動くことなく、社会に貢献してくださってきました。その方々に、自衛隊活動という職業行動の中で、政治に関わる意見を表明することの正当性を与えたということを明確にしておかなければならないと思っています。

 権力を握ることに喜びを感じる人は少なくないと思います。「武器」と「行動力」という二つの力を持つ人こそ謙虚でなければならず、政治に足を踏み入ってしまうと、社会にとってそれがどれだけ危険なのか、「制服組」というのは人の集団であり、長期に亘って国民の平和と安全を守ることを願うとすれば、当事者が関係する政治に対して、「制服組」の関与をできるだけ避けるようにするべきではないでしょうか。

今回の改正は、「制服組」の政治参画への第一歩であり、もしそこに「現役」等の制限まで加わったら、日本の平和維持は厳しいことになるのではないかと思います。国民一人一人が歴史を顧み、2度と失敗を繰り返さないように、知識を生かしていただきたいと願っています。             (2015.7.6;7.7; 7.19; 7.20修正, 8.1移動) 

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D-3 (今回は、過去のメッセージをそのまま載せることにしました。)
 いつもいつも時間に追われている感じで、自分のことを、もう少し人生を楽しむといいのではないかと思っています。でも、その忙しさを楽しんでいるところもあるかもしれません

 
実は、恩師の宮地重遠先生が先月お亡くなりになり、1か月の間、悲しみを忙しさで紛らわしてきたように思います。先生のご逝去を、連絡すべき方で、まだお伝えできていない方もおられます。一方、先月は学部内で、皆様にご心配をおかけしてしまうことが発生しました。大変申し訳ありませんでした。実験は、安全に注意しても、それでも万全といえることはできません。この機会に、学部や研究室で安全な運営のしかたについて振り返って見直しています。

 7月に入り、前期の講義が終わりに近づき、まとめの段階になりました。1年生も実習が開始されています。GFPという緑色蛍光タンパク質を得る実習は、アドバイザーのゼミ単位、小生の場合は5人の学生につきっきりで行いました。学生実習室は、学生だけでなく、教員が2割近く加わったことになるので、たいへん混んでいました。1年生にとって、初めての実習で、少し高度すぎる実習内容だったかもしれません。でも、みんな真剣でしたし、いくつもの重要なポイントが含まれていますので、実習内容を理解してくれたらいいなと思っています。実験結果に関しては、全員、いい結果が得られて、ほっとしています。また、実習経験が心の刺激になってくれていればと願っています。秋からは、1年生も本格的に実習が始まります。本学生命科学部の教育における本質の一つであり重要なところです。

 世界ではテロの恐怖が広がっています。もうすぐリオデジャネイロのオリンピック。人は明るい、楽しいことを思って生きていくのもいいと思います。情報通信技術を、平和と安全のために使ってほしいと思います。

 前回のメッセージは、”Idea Incubation" のC-2 に移しました。今回は、藤原先生から、サジェッションをいただきました。
学部の宣伝になってしまいそうですが、申し込み期限も迫っていますので。 リンクでお伝えすることにします

1)高校生対象 研究室&キャンパスツアー(締切7月13日)があります。高校生の皆さんは早いうちから、大学を知っておくといいと思います。http://www.toyaku.ac.jp/admissions/event/tour
2)高校生対象 夏休み研究実習(締切7月15日)。高校生のうちから、実験をしてみるのもいいと思います。http://www.ls.toyaku.ac.jp/research_workshop
3)高校教員対象 生命科学への誘い(締切7月15日)。先生の皆さま、日程が合えば、生命科学部の進歩に触れてみてはいかがでしょうか。お忙しいとは思いますが。
http://www.ls.toyaku.ac.jp/invitation
4)教員免許状更新講習(締切7月15日)。免許の更新が先生方の課題になってしまっています。
本学の講習会もご利用ください。講義によって多少、変更があるかもしれませんので、ご確認くださいますれば幸いです。

https://www.toyaku.ac.jp/faculties/lifescience/teacher-training-course_l/teacher-training-course05
5)高校生対象 生命科学への誘い(締切7月20日)。積極的な生徒がいい経験をすることができます。http://www.toyaku.ac.jp/admissions/event/event-lifescienc
今や、積極的な行動が大切です。経験して得られる情報や体験は、若い皆さまの宝になります。
なお、これらは、大学のHPに入っていますので、ご覧いただければと存じます
高校生の皆さんは、試験勉強真っ最中の時期かなと思います。試験、がんばってください。

                                              (2016. 7. 9 都筑)





D-2
 今日(2015年6月6日)、学術部門の「学術発表会」が行われました。今年は、新入部員が多かったため、発表会への参加者も多く、また、どの部も一生懸命な発表で、たいへんすばらしい会となりました。学生の活動のひとつの成果と思います。授業で出てきたことからテーマを見つけてきたり、学生の身の回りのことからテーマを選んだり、それぞれユニークな視点は賞賛すべきものでした。こうした学生の活動を支えてあげるのも学生部の重要な仕事と思っています。

 学生の成長はそこにあると思っています。何でもひとつずつ、進んでいく、これが学生一人々々のよい思い出になり、自信になり、力になります。好きなこと、興味のあることであれば、なおいいのだろうと思います。今、親をはじめ大人が子どもに対して出すぎているように思います。心配すればするほど、親は先走り、当の子どもは動きを止めてしまいます。皮肉なもので、子どもの成長を親が止めてしまうことも多いような気がしています。子どもを信じてあげること、子育てにも冒険心が必要なのかもしれません。
    間、省略・・・・・・(メッセージ欄の時の記載部分 略)

 高校3年生の皆さん、あせらずあわてず、一つ一つ頭に入れ、これまでの知識と結び付けてください。すでに知っている似た内容のことと結び付けてもかまいませんし、反対のことと対比して比較してみてもかまいません。もちろん好きなこととつなげてみたらいいと思います。

 先日講義の中で雑談をしてしまいました。クエン酸回路(TCA回路)は、イギリスのシェフィールド大で発見されました。そのシェフィールドは川崎と姉妹都市。ステンレス発祥の地です。

 ただ、この雑談、さらに進めてしまうと、イギリスの中央部は、西側から、リバプール、マンチェスター、シェフィールド、リーズ、ヨークと並んでいます。ビートルズのリバプール、サッカー・マンチェスターユナイテッドのマンチェスター、そしてニューヨークの由来となった大聖堂の町ヨーク。ロンドンとスコットランドに目が行ってしまうことの多いイギリスですが、中央部も面白いところです。シェフィールドとマンチェスターの間には、ペナンという名で、秋にヒースの咲くなだらかな山が続いています。「嵐が丘」でしたでしょうか。日本とは景色が違います。ヨークシャーとランカシャーのところでもあります。それは世界史の舞台として登場します。

 こんな形で勉強したら、いつか行ってみたいと思うかもしれません。私の思う勉強の仕方は、こんな感じで、いろいろなことをつなげることと思っています。こうしてつながると、一度入った記憶は抜けにくくなっていますので。知識を得る喜びを若い世代皆に伝えたいと願っています。
             (2013.6.6)



D-1
2014年の初めに「メッセージ」に書かしてもらいました。その一部をここに残しておきます。2014年が甲午の年であること、若い皆さんに「夢」を持っていただきたいこと、私個人は微細藻類でバイオマス生産の夢を抱いていることをお伝えしようというのが理由です。
2014年(平成26年)へ、巳年から午年へ、癸から甲へと年が変わりました。十二支はよく知られていますが、十干の方はあまり言われませんので確認してみました。。読み方も「癸」が「みずのと(き)」、「甲」が「きのえ(こう)」です。日本史の勉強をしていると、「壬申の乱」とか「戊辰戦争」などと出てきますので、知っていらっしゃる方も多いかと思います。ただ、振り返ってみて思い出す言葉は、ほとんど戦争や事件など、つらい内容ばかりです。いいこと(?)で思い出そうとしたら、「還暦」がありました。10と12の最小公倍数である60。それで一通りの十干十二支を過ごしたことになります。
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 「夢」を若者に持たせる仕事、それが今求められている教育なのではないでしょうか。高校までの教育で、「夢」を大きく抱くことのできた若者、その「夢」に向かって歩み続けている若者、挫折して「夢」を見失っている若者、そもそもそんな「夢」を持てない若者。ものすごい差があるように感じています。「夢」を持った若者は自らの脚で歩んでいくことができます。彼らには歩む方向性を見失わないように、また「夢」を持ち続けられるようにサポートすることが大切です。一方、「夢」を持っていない若者には、何か現実につながる「夢」を見つける手伝いをすることが私たちの仕事と思っています。現実の経済社会は、「夢」のない若者に容赦しません。社会に送り出す前に、若者一人一人に、しっかり足を地に着けた「夢」を持たせ、その「夢」に向かってもらうように日々努力しているつもりでいます。
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 日本の経済は少しずつよくなっているようです。しかし、金融政策でよくなった経済は、お金の流れがよくなったのであって、本質がよくなったのかどうか不安なところがあります。人の身体で言うならば、血のめぐりがよくなったということなのかなと理解しています。円安の影響で、“身体”は少し温かくなってきたように思います。でも、世界全体で“食べるもの”が増えないと、それぞれの国みんなの“身体”の温かさを保つことはできません。政治の方で、“食べ物”まで用意してくれればいいのですが、世界の国々の発展を考えれば、“食べ物”すなわちエネルギー資源は不足していきそうです。今はまず、“食べ物”を皆で仲良く分け合いたいと思います。
 私たち「環境応答植物学研究室」では、微細藻類の光合成能力を利用して、その“食べ物”を作り出す研究、あるいはその仕組みを作り出す技術開発も始めています。“血流がよくなった身体”にできるだけ早く、おいしい“食べ物”をまず日本に提供すること、これが今年の私の「夢」になりました。日本、そして、世界の人々にその“食べ物”の作り方を紹介できたら、うれしいことで「十干十二支」の名で記憶してもらえるかもしれません。「甲午」がすばらしい年になりますように。                  (2013.12.28; 12.29; 12.31修正)


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