※ページ構成の改良、まだ考え中です。より見やすい形を作っていこうと考えています。
前回、経済のことについて、「新しいタイプの資本主義」に変えていくことがいま求められていると、私なりの意見を申し上げさせていただきました。
これまでの日本の経済活動の基本システムは、①原料の輸入、②信頼度の高い製品の製造、③その製品の輸出であり、このプロセスで生じた輸出と輸入の金額の差が我が国の収入でした。この利益は、日本の企業の収益となり、国民生活の向上を支えてきました。しかし、今では「発展途上国」とされてきた諸国の技術水準が高まり、上の①~③のプロセスが可能となっています。それどころか、労働賃金は当然日本より安く、かつての「発展途上国」から輸出される製品の価格は低く抑えられています。日本の企業がこうした国々に生産拠点を移してきたのはそのためだったはずです。ところが、技術の向上により、日本の企業から離れて単独で生産し輸出するとなれば、日本の競争相手になっていくのは明らかです。この事態に対して、せめて「円安にして価格差を減らしましょう」というのが、今の政府の方針だと小生は理解しています。また、新たな技術を作り出そう」ということで、「イノベーション」という語がよく使われています。調べなおしてみると、技術面に限らず「革新、刷新」まで指すようです。根本的に考え方を改める時期に来ているのかもしれません。
では、何をしたらいいのか。小生の拙い考えですが、上の①~③の過程を見直してみると、これまでの「原料」は化石資源であり、この活動を支えるエネルギーは化石燃料でした。すなわち、我が国の基本構造が化石資源に頼っていて、ほとんどすべての国の産業社会がその域にとどまっているということを、しっかりと見つめ直すことが大切だと思います。エネルギーの面で、化石燃料に代わるものとして考えられてきたのが原子力ですが、その危険性のため、利用に関する議論が分かれるところとなっています。
日本人の生活は、エネルギー計算すると、食の30倍程度に拡大しています。すなわち、食のおおもとを農業と考えるならば、農業を支えるエネルギーが太陽光であり、肥料が工業製品とすると、今の食料は、太陽光に加えて化石燃料を投入して作っていることになります。要約すると、太陽光で日本人の生活を支えられるのは、大まかには3%程度(30分の1程度)ということになります。ビジネスの視点では、採算が取れることが重要ですが、小生のような大局的な視点で見てしまう者にとっては、太陽光で生活のエネルギーを支えられるのは、きわめてわずかな割合と考えてしまうのですが、・・。また、何千万年もかけて太陽エネルギーを蓄積してきた結果である化石燃料を100年程度で消費しようとしているのですから、私たちの生活水準がいかに大きいか考え直す必要もあると思います。。
となると、上のイノベーションは、どこに視点を置くべきなのでしょうか。身の回りにあるエネルギーをいかに利用可能なものにすることではないかと考えています。地熱、風力、水力、波力、潮力、そして、気温も含めた温度差発電など、小さなスケールのエネルギーを集中させることが今求められているのではないかと考えています。原子力という巨大なエネルギータンクが危険であるなら、分散化されているエネルギーを効率的に集約させ、利用可能なものとする、こんな技術ができること、これこそ、目指すイノベーションではないかと考えているのですが、・・・。幸い日本のエネルギー資源は、賦存量が世界第6位と聞いていますので、可能性を探っていきたいと思っています。
さて、話を教育に向けさせていただこうと思います。最近、少し気になりだしたことなのですが、若者があまり思考しなくなった、特に、「なぜだろう」とか「既知のことと何か違うような気がする」というような内容で、物事を考える学生が減ってしまったような気がしているのですが、そう感じているのは小生だけでしょうか。読者の皆様の中で、大学学部教育、あるいは高校教育をされておられる方々がどのように感じておられるかと気になりだしているところです。ちょうどゆとり教育から脱ゆとり教育に変化し、スマホが手元にある若者にとって、「考えるより知る」ことの生活が主流になっているような気がし始めています。
上に述べたような議論、イノベーションには、「知ってから考えろ」といいたいのですが、「知った後考えるだけの時間がない」教育システムになっていないか、心配をし始めています。