ーショウジョウバエの音・重力・風の検知システムに関する発表内容ー

「ショウジョウバエが音・重力・風を検知する機構を解明」

 

   空気の小さな振動を検知する「音」と、物体にかかる力の向きを検知する「重力」は、人間ではどちらも「耳」によって受容されています。 耳の中には鼓膜の振動をモニターする「蝸牛器官」と、耳石と呼ばれる小さな石の位置のずれをモニターする「耳石器官」という別々の感覚器が存在し、これらが音と重力を別々に検知して、 蝸牛核と前庭核とよばれる脳の中枢に情報を送っています。

   昆虫でも音と重力は仲間どうしのコミュニケーションや姿勢の制御に大きな役割を果たしていますが、これらの情報がどのように検知され、 脳で処理されるのかはほとんど分かっていませんでした。この問題を解明するため、私たちは、まずショウジョウバエの「耳」にあたる触角の付け根にある感覚神経(ジョンストン器官神経)の構造を詳細に解明し、 これらが数種類の神経細胞によって構成され、それぞれ脳の異なる中枢に情報を送っていることを見出しました。(Kamikouchi et al. J Comp Neurol 499, 317-356. 2006.)

   今回はこの成果を利用して、1:神経活動にともなう細胞内のカルシウム濃度変化に従って蛍光強度が変化する、特殊な蛍光タンパクを特定の種類の神経細胞だけで発現させて、 生きたままの動物の中でその神経の活動をモニターする研究、2:シナプスの情報伝達を阻害する毒素遺伝子を特定の神経細胞だけで発現させてその機能を遮断し、ハエが音や重力を検知する行動に与える影響を調べる研究、 3:脳のそれぞれの中枢を形づくる、さらに高次の神経を探索して、その構造を解析する研究、を行いました。

   その結果触角の付け根には、触角の小さな振動に敏感に反応する細胞と、一定の方向への持続的な変位(角度の変化)に敏感に反応する細胞とが組み合わさって並んでおり、 前者の機能を遮断すると音に対する反応が、後者の機能を遮断すると重力に対する反応が、特異的に失われることが分かりました。さらに、音を検知する神経と重力を検知する神経は脳内の別々の 中枢に分かれて投射しており、これらの中枢の神経回路は、人間の脳の聴覚や重力感覚の中枢の回路とそれぞれよく似た構造になっていることが分かりました。

   また、ショウジョウバエは強い風が来ると身構えて飛ばされないようにする習性があります。強い風は重力と同じように、触角の傾きを変化させます。このような風検知も、 重力と同じ脳中枢で処理されていることが分かりました。

   ショウジョウバエと人間は進化的には6億年以上前に分かれており、共通の祖先にはハエの触角や人間の耳に類似の構造はありませんでした。 それにもかかわらずハエと人間で音や重力の情報処理回路が似ていることは、特定の種類の情報を処理するために最適な方法を求めてそれぞれが独自に進化した結果、 同じような構造に行き着いた収斂進化の可能性を示しています。

   ショウジョウバエは、脳全体の神経細胞数が比較的少ないにもかかわらず、さまざまな動物に共通する多様な本能行動や学習記憶行動を示します。 また今回行ったような、脳内のごく一部の特定の神経だけを遺伝的に操作してその神経の活動をモニターしたり、機能を遮断して行動の変化を調べたりするような実験は、ショウジョウバエでは比較的容易に行えますが、 哺乳類の実験動物では困難です。このため、ショウジョウバエは人間を含めた動物の脳機能一般を理解するためのモデル動物として、世界的に広く使われてきています。本研究の成果により今後、 まったく異なる生き物の脳構造を比較することで私たちの脳をより深く理解し、ショウジョウバエでしかできない高度な実験技術を活用して、 特定の情報処理に最適化された神経回路の設計原理を理解できるようになるのではないかと考えています。

   本研究は、東京大学分子生物学研究所の高次構造研究分野研究室(伊藤啓准教授、稲垣秀彦さん)、ケルン大学(Martin C. Gopfert 准教授[現ゲッティンゲン大学教授])、 ビュルツブルグ大学(Andre Fiala チームリーダー[現ゲッティンゲン大学・准教授])、と共同で音と重力に関する部分を、さらにカリフォルニア工科大学(David J. Anderson 教授研究室) と共同で風の検知に関する部分を行いました。

   これらの成果は学術雑誌「Nature」(3 月12 日号)にArticle(音と重力について)とLetter(風について)の2報の連報として掲載され、同号のNews and Views欄で取り上げられました。


毎日新聞:http://mainichi.jp/select/science/news/20090312k0000m040118000c.html
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